ひと段落。

2月28日に再度北海道に戻って母の入院、手術に付きそう。
コロナなので、病院のお見舞い等は禁止しておりエレベーター前で別れる。


そこから母は6日位まで入院。
手術の結果は腫瘍は全部取れなかったと医者から電話がきました。
留守にしている間
来客やら選挙に出る人が挨拶周りに来たり、
牛乳の集金があったり眼鏡壊れたり。
何かしら色々ありました。


で、母退院になるが、病理検査の結果が出なくて再度病院へ。
悪かった場合は放射線やら化学療法やらお決まりのコースが待ってたんだけど、腫瘍は悪性だけど、限りなく1%の悪性腫瘍だったみたいで、
お決まりのコースをしないで経過監査と言う形になり1ヶ月に1回の通院になりました。
なので、もう北海道に滞在している意味がなくなったので、帰ることに。


家の名義変更の方も判子押して完了しているので、もう大丈夫かなと。
後、もう一週間いれば父の50日だけど、父の事は嫌いなので帰りました。


ネットと猫のいる家サイコー!


帰りの飛行機はエアドゥのサイトでチケットを買ったのですが、ANAより滅茶苦茶安くて株主優待が一枚余ってしまった。


エアドゥは3日後から半額に近い価格になるので、急ぎはANAの株主優待で、帰りはエアドゥで買った方がいいなと思った。(昔は一ヶ月後とかじゃないと半額まで安くならなかったのにね)
スポンサーサイト



関東に戻って色々

24日の母の手術の最終説明があるのですが、関東に行って色々しなくちゃいけないので母の手術前に一旦17日に関東に戻りました。


土日は役所が休みなので、掃除したり作り置き冷凍を作ったり。
で、月曜日に印鑑登録と証明書、年金手続き、戸籍謄本を全てやってきました。


数日掛かるかなと思ったら1日で終わったw


戸籍謄本の本籍が相方の実家の方の市役所なので、近場で取れず電車移動してそれから義母さんに連れてってもらったり。
(もし午前中に印鑑登録とか年金手続きをしに行ってなかったら1日ではやれなかった)


書類は速達で送ったので、後は母が入院前に手続きをやるかどうかって所ですね。


年金手続きの方はわざわざ年金事務所まで行かなくても街角の年金相談センターを訪ねて予約が必要か聞いてみたら無しでも受付してくれると言う事でやってきました!
北海道の年金事務所は予約が必要で10日に行った時は予約じゃ無いと無理と言われ次は17日以降とか言われて病院の事もあるしちょっとそんなに待てないよだったので、関東も同じようだったらどうしようと心配していたのですが、早く出来て良かった。


支店の存在を調べたら北海道だと札幌意外にはそう言う支店みたいなのがなくていやもうホントに近くにあって良かった。


つか実家の町にも支店が有ればいいのに。年金事務所まで遠いよ。


母が癌だったり怪我をしていなければ手続きは急がなくてもゆっくり出来たのですが、もう今はどうなるか分からないから早く早くって感じですね…。


残りは墓仕舞いか。
まだまだ終わらないな。

父死にました。

2月6日に亡くなりました。
母は父が亡くなる前に娘に会う?とか聞いていたみたいですが、プライドが高いのか娘なんてどうでも良いと思っていたのか会いたいと言わず亡くなりました。
私の方も、父が言わない限り会う気はなかったので、亡くなるまで北海道には行きませんでした。


2月6日
母から父が後2~3日で死ぬかもと電話が来て
死んだら行くと言って電話を切った後数時間後に亡くなったと。
母は3日前から葬儀の相談をしに行ってたのが良かったのかサクサクと進みました。


6日通や7日に火葬。


父の顔を見たけどなんか他人に見えた。
15年以上会ってなかったしね。
骨が多くて骨壷がパンパン。
母は父が貯めていたカード引き落としがびっしり記載されていた使用済みの通帳40冊を棺桶の中に突っ込んでいました。
お金に苦労させられたので
見せ金は1円たりと入れません。
三途の川を渡らなくて困っている事でしょう。


8日は相方だけ先に関東へ帰宅。
私は実家に残り父の死後の書類手続きに同行。
書類が多い…。


9日以降は
母の病院に付き添って
左耳下腺悪性腫瘍
レベルはT4aで重いと宣告されました。
難しい位置に出来ていて完治も無理
顔も神経を切るので障害が起きると。
関東で手術をするか北海道でやるかの2択を迫られましたが、母の意思を尊重するので、北海道でと。
3月1日に手術することになりました。
本来なら悪性になる前に病院に行けた可能性があったのに、何もできない何も自分からしない父に振り回されて悪性に変化してしまったんだと思います。


癌の他に手首骨折もやっていてこれも父のせいで病院に行けず変な風にくっ付いてしまったとか…。
母が倒れた時も心配せずに寝てたと言うし…。


それと
家の名義変更は素人ではちょっと面積がおかしいとかで無理そうなので司法書士にお任せしました。(10万円)
その時に私の印鑑証明が必要らしく北海道で作ることはできないので、一旦帰ることになりました。
年金手続きもそこでやれたらいいなと。


とにかく10日間は滞在していたけど、本当に書類が大変です。
父のやつの他に母の入院手続きとかで役所行ったりコンビニでコピーしたり。
公共施設の変更手続きとか色々…。
墓仕舞いもあるし


今年一年はそんな感じで私も振り回されそうです。


母は自覚してるけど、少し認知障害が入ってるみたいで、何度も物を探したり覚えているのが難しくなってきた感じ。

父癌になるその3

母から不在着信。

どうやら今月いっぱいか2月まで命が持たないもよう。

近いうちに喪服とか買わねば。
にしても時期が悪すぎてキレそう。
今月は火災保険の更新とか相方の歯の自費治療代とか
各生命保険料の支払いとか、家の外壁塗装でお金が…。

しかも私の実家は北海道だから当日の飛行機代だと片道3万円…。
一気に支払いの嵐が…。

正直父の心配はしていません。
もう10年以上も会ってないし、
声も聞いてないし、向うはネットがないから交流することもないし、
話したとしてもモラハラな事を言われそうなので、こっちからはコンタクトを取りたいとは思いません。
私の中の父のイメージは中学生の頃に友達に裏切られたのをいつまでも引きずっていて友達を作らないまま人生を送り仕事のストレスは酒とパチンコで発散して人の話をちゃんと聞かない人になっています。
(まぁ死んだあとに対面したら泣くかもしれないけど、人が死ぬのが悲しいってだけで父が死ぬのが悲しいとは思わないと思う。)

で、現在の父は緩和ケアでじわじわと死に向かっているもよう。

最初は病院で治療する方向が、病院を抜け出し家に帰るので(家に憑りつかれているのか?)
医者がキレてここではもう面倒見切れませんと他の病院に転移と言うか
丸投げされたらしい。

そら自分勝手な行動したらそうなるわな。
医者に対しても自分勝手な行動をするとは思わなかったが。

母は自分が死にそうになった時
自分のお金を降ろして父一人でも何とか生活できるようにと用意してたのに
逆の立場になった時あの人はそういう事を何もしなかった。
あの時私の行動を見てなんとも思っていなかったのかしらと。

一応父はもう先が長くないのを悟ったのか通帳を母に渡したらしいが、
銀行の暗証番号もハンコも教えていなかったそうで、思いやりの無い所にキレてました。

…なんかもうねぇ。

あ、そういえば勝手に家に帰るやつ
昔親戚の葬式の時、父は母を連れてこなかったことに対して
親戚たちが怒って父に説教したら
父は拗ねたのか親戚に帰りの挨拶もせずしれっと黙って家に帰ったらしく
親戚たちが父が行方不明だと慌てていたということがあったなぁ…。
(多分あれ以来その親戚とは付き合いが無くなってしまったのかも。)







あけました。

開けましたおめでとうございます。
プロフィール

rinorinousagi

Author:rinorinousagi
りのうさぎの日常です。
主に創作活動だったり、病気記録だったり。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR